▪️パパ活という行為の先に

 端的に言えば売春行為だが、90’sから援交と呼ばれる流行は存在していた。

 当時と異なるのは生活に窮した若い世代が、遊びでなく〝本職〟として止むに止まれず沈んで行く様相にある。

 自分が未だ外資系金融に居た頃、このパパ活なる用語は生まれていなかった。しかし、これに類した活動をしている女には遭遇する機会が多かった。

 彼女らにとって我々外資系企業の人間は取締役でなければ、狙いよりもスリーランク低い人種に当たる。トップクラスがスポーツ選手や有名芸能人、次点が政治家や高級官僚。その下に一部上場企業の社長や役員。その下である我々は彼女達から見て下層らしい。

 では彼女らの属性は。特性は。能力は。性質は。と言えば、難関大出身者は少なくとも自分は見た事が無い。自らの将来を見据えた努力が出来る女性は思考のベクトルが別だ。女子大3S出身が多かったと言っておこう。学生又はフリーターが多数。無職も居れば会社員も居た。総じて言えるのは『男に寄生しよう』と考える女しか居なかったという事だ。

 無論、それらの大学出資者が全て的外れな行動をしていた訳ではない。名家の才女も居るのだろう。あくまで自分が出くわした範囲の女が壊れていたのである。

 既婚者であった上司は清々しく後腐れ無く彼女達に接していた。同僚の1人は遊ぶのでなく誠実に交際し結婚に至っていた。離婚したが。

 自分はご存知の通り、化猫の華嬢に執心していた為に着飾った女達とは一線を引いていた。精神的には一線を引きつつ身体的には一線を超えている。若気の至りとしよう。

 同僚であり友人であるN(故人・過労死した)が問題だった。一見は顔立ちの整った優男で、気立ても良いNはバイセクシャルを自認していた。しかし深層では女を憎んでいた様に思う。

 ターゲットにした女に高価な品々を与える。5つ星にステイする。連休にグアムやらニューカレドニア等に連れ出し、ラグジュアリ体験を積み重ねさせる。多大なる甘い言葉を散々囁いた後、急に女を切り棄てる。

 虜にしておいた女が、それからどうなるか見たいのだそうだ。1人は生活レベルを落とせずにナイトワークへ。1人は精神疾患になり入院した。他は聞いていないが、犠牲者は2人では留まらないだろう。

 寄生して生きる事が悪だとは、自分は考えていない。生存手段として有効であるとは思う。仮に自分が他者に寄生する必要があるとすれば寄生先を複数人確保し、リスクの分散を図るだろう。

   誰かに寄生する事は、社会人としてのキャリア形成を放棄するに等しい。自立は望めず、寄生先の要求を呑まねばならない場面が生じる。即ちプライドは持てない。

 例えば有名人の愛人だとして、相手のキャリアや名声は相手のものだ。相手を支えていると声高に叫んだとしても虚勢に過ぎない。

 これが配偶者であれば、また違う論争になるのだろうが我が妻は夫に頼る事を極端に嫌う。病身で働き回り、家に居る事を嫌う。挙げ句の果てに「あなたが死んでも困らない」と言い切る。

 酷な台詞だが、その直後に「あなたの魂を愛しているから実体が無くても困らない」と言うのである。その妻の魂に自分は29年余り、寄生している。