◾️六年半前に何が起きていたか

 昼下がりに書いています。投稿は夜半過ぎになる事でしょう。

 窓の外は真冬らしからぬ麗らかな空が広がっています。一月と言えば重い雪景色を好みますが、気象と女の気性だけは下手に弄らず放置しておくが英明な判断と言えます。

 

 現妻である華を元配偶者である光生から勝ち得る迄の間、至難の道が闇の中で黒く口を開いて待っていました。第一の難として、華が全く光生との離婚を望んでいなかった事が挙げられます。

 性交渉に於いては有無を言わせず、早々に再開しましたので良しとします。元を正せば彼女は自分の女でしたから光生から取り上げたのでなく、取り戻したのだと辯明しておきます。

 詳細は以下https://hanagatamix.hatenablog.com/entry/2020/10/04/171849

   華に関しては未だ判然としないパーソナリティーの人間であり、日々発見が尽きず飽きない結婚生活ではあります。しかしながら六年半前と言えば異性としても人としても甚だしく見当が付かない事の連続でした。

 説明する事が自らのプライドを削る様で厄介ではありますが、彼女は二人で居る貴重な時間に意識を別方向へスライドさせ深い交流をしない姿勢を貫いていました。光生と別れ、こちらと再婚する迄の間は断固として。

 対峙している人間の心がここに無い事は霊感等が薄くとも誰しもが感じ取れるでしょう。その時の虚しさを想像出来るでしょうか。体は差し出しても精神を1ミリも傾けてはくれない寂寞。

 有り体に申せば六年半前に恋愛が再興したのでなく、自分が共同経営をしていた彼女に対し無力な暴動を起こしただけです。

 現在、妻に盲愛を示しても彼女は心底からの愛情を返してくれません。彼女の愛とは全ての生きとし生けるものに、あまねく注がれており「夫」は「その他多数」と変わらぬ様です。眼前に野犬が在れば夫と野犬への愛が等しい訳です。そんな筈が無いだろうと読者諸君は思うでしょうが道路で猫が轢かれて死んでいれば彼女は、この世の終わりかという声で慟哭します。

 

 愛するという行為は何か、抽象でなく答えられる方々が居られるでしょうか。

 少なくとも神を愛するとは戒めを守る事だと幼少の折に刷り込まれました。従順で在れと物心ついた頃から躾けられた次第ですが、自分は華を神の遣わした存在だと確信し彼女に従い彼女を想い彼女が喜ぶ事だけを選んで生きて来ました。

 彼女に対し、神に対して見返りが少ないと苦言を呈する事は何とも人間的です。

 自分は時に憐れみを欲します。憐れみとは聖書に於いて一方的に愛を注がれる事を指します。決して上下関係でなく対等な状態で。

 この自分の生育の過程で問題が生じたのか、はたまた彼女が真正のサディストであるのか今後の夫婦関係で計りたいと考えます。